少年サッカーいまむかし

小学4年の息子のコーチとして土日はグラウンドに立っている。

私も小学校の時は同じグラウンドでサッカーをやっていた。

以前も書いたが、あの頃はいくらサッカーどころの静岡県といっても、浜松あたりではまだ指導者も豊富にいるわけではなく、鴨江サッカースポーツ少年団では、団が小学校の先生にコーチをお願いしているような状況だった。今思えばよく先生も引き受けてくれたものだ。

しかし、敏郎先生は陸上専門の先生であり、サッカーに関しては未経験だった。楽しかったんだけど、サッカーの技術的な練習とかした覚えが無い。とにかく走らされたな。腿上げとか。陸上だったな、あれは。当時の少年団はこんなチームがまだまだあったと思う。

・所属するのは小学校3年から。練習は放課後毎日。土曜日は半ドン終了後の午後1時から。
・3年から6年まで全部一緒に練習。ほぼ同じ内容。シュート練習は30人くらい一列に並んでやっていたような・・。
・基本、コーチ(先生)は5時くらいまでいない。子どもだけでやっている。
・もちろん真夏でも水は飲めない。私のチームは試合のハーフタイムすら水分取れなかった。
・具合が悪くなったら木陰で休めるが、怒られる。
・練習を見に来る、迎えに来る親は一人もいない。
・なんなら練習試合を見に来る親もほとんどいない。というか練習試合が無い。
・サブメンバーの子は、ほぼ試合に出ない。

当時は親も子どものサッカーに興味があるわけではなく、放課後預かってほしい程度の認識だったと思われる。

私の父親は団長をやっていたが、父親もサッカー経験はなく、サッカーのことがすごい好きでやるというよりは、私達兄弟がサッカーをやっていたから親として団長を引き受けてくれた、という感じだったと思う。

なので先生は本当に大変だったと思う。全学年の公式戦に付き添いレギュラーやポジションを決めていたし、当時4年から公式戦があったと思うが、そうなると日曜日はほぼ毎週各学年の公式戦があったんじゃないかと思う。父親も試合の度に配車の手配だの審判だのと大変だったと思う。当時のその辺の話はあまり父親としたことはないが。

今は鴨江と西小の少年団が一緒になり西部FCとして活動しているが、私は4年担当のコーチであり、それも3人いてサブコーチという立場なので、そこまで何でもかんでもやっているわけではない。全学年で30人くらいコーチがいるし、練習グラウンドの手配とか振り分け等は、他のコーチがやってくれているので、自分の学年の指導に専念させてもらっている。とてもありがたいことです。

そして私はこんな感じで毎日だらだらと練習していたにもかかわらず、チームは6年の半ばあたりからじわじわ強くなっていった覚えがある。小学校の時は、キャプテンであった私がそんなにサッカーにドハマりしている子ではなかったので、みんなで一生懸命練習して絶対優勝するぞ!なんていう思いも持ち合わせてなかったように思うが、運動神経のいい子どもたちが集まったのか、楽しくワイワイやってるのが良かったのか、あのころ私たちの代では負けなしだった蒲小の少年団とPK戦までもつれ込み県大会出場を果たした。

右下が私です。このうち8人くらいとは今でも集まって酒飲みます。

もし私が、今の子どもたちと同じような環境でサッカーをやっていたら、どんな選手・チームになっていただろうかと思うこともあるが、あの時は本当にのびのびサッカーやっててそれはそれで良かったのかなとも思うし、やっぱり今のようなコーチが楽しくいろんな練習を指導してくれるのも良いかなとも思うし、こればっかりは分からない。

今の子どもたちにはいつまでも楽しくサッカーをやってもらいたいと思う。

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Facebookもやってます。あのころの小学校の話とかあればぜひ。

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